広川古墳公園資料館に伺ったもう一つの目的は、こちら。
写真手前に並んでいる丸いものは、町内の遺跡から出土した糸づくりの道具「紡錘車(ぼうすいしゃ)」です。パネルに図示されているように、棒の下の方にこの丸いおもりを付けて、回転させながら糸によりをかけます。

資料館に展示されている紡錘車が使われていたのは6世紀頃。つまり、少なくとも約1400年前ほどから、もしかするとそれよりももっと古くから、広川町では織物が作られていたのです。
江戸時代末期に始まった久留米絣の歴史は約200年。比較的新しい織物ですが、その背景には古代から脈々と続く広川町の織物の歴史があるのだと言えます。

実は6世紀ごろの八女一帯は、日本で有数の繁栄を誇る土地でした。
「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」が眠る八女市の「岩戸山古墳」を中心に、10数キロにもわたって広がる八女古墳群はその当時の栄華を偲ばせます。
広川古墳公園資料館はその八女古墳群の一角にあたり、敷地内には墓守の武人を象った〈石人〉を配する「石人山古墳」、ベンガラ朱で華やかな装飾壁画が描かれた「弘化谷古墳」という二つの古墳に加えて、町内の各遺跡からの出土品を展示する資料館が備えられています。

公園の入り口に立つ石人のレプリカは、久留米絣のマスクをしていました。
「せきじんさん」と呼ばれ、病気平癒の力を持つ存在として地域の人に愛され、信仰されてきた石人が、まだまだ世界に広がるパンデミックを鎮めてくれることを願います。 (冨永)
※文化財の写真は許可を得て公開しています。

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