上広川地区の中程に位置する吉常公民館の敷地内には、八女の竹細工の歴史や特徴が記された黒大理石の石碑があります。以下に全文をご紹介します。

400年という八女の竹細工の長い歴史を受け継ぐ職人さんも、現在は町内にお一人になりました。私たちの生活様式が変わり、工芸が日用品ではなくなりつつあることには、正直寂しい気持ちがします。
ですが、手仕事は不思議な魅力を持っています。手で作られた物ならではの形や柄の揺らぎに、作り手の確かな存在を感じること。それは、長引くコロナ禍で人との関わりが少なくなりがちな私たちの日常の、小さな支えになってくれるのではないでしょうか。

欧米では工芸の価値の見直しの動きもあると聞きます。工芸をどう守りどう残すか、どう変えるか。工芸に関わる誰もが最適解を模索していますが、それは一つではないのだと思います。
作る人、売る人、使う人、それぞれの立場から見えるものを伝え合って考えていく場や取り組みを重ねながら、地道に探していくしかありません。

 


〈竹工芸の里〉

「八女の竹製品は四百年程前、日向高鍋の浪人高鍋登能武と福岡の浪人斉藤平太夫政成の二人が、相前後して当地を訪れ、竹細工の技術を伝え代々受け継がれ発達してきたと言われている。
昭和の初め頃まで、製作の中心は飯籠・味噌こし等であったが、時代の変遷と共に盛籠・花籠に変わっていった。八女竹製品の特徴は巻縁の技法と水きりの良さで、八女物の名で東京・大阪方面まで知られ出荷された。
昭和九年三月、上広川竹製品工業組合が設立され、昭和十年二月、筑後竹製品工業組合が出来、次いで昭和二十五年七月、八女竹製品工業組合が設立された。最盛期には、百二十業者、五百余名の従事者を数えた。
ここは、八女竹製品工業組合が置かれていた場所で、昭和六十二年七月広川町へ寄贈された。この土地を活用するにあたり、竹工芸の歴史と厚意を永く顕彰するため、ここに記念碑を建立する。 広川町
平成四年一月吉日建立」


公民館のほど近くのお宅の庭に、立派な蝋梅が花を咲かせていました。名前の通り、蝋細工のような繊細な花からはうっとりするほど甘い香りがします。
まだまだ風は冷たく、景色は冬枯れです。しかし春の準備は少しずつ進んでいるのを感じます。 (冨永)

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