【産学連携の取り組み】

平成28年度から広川町が、久留米工業大学と久留米大学、2つの大学と、豊かな地域資源、研究成果などを活用した交流を促進し、産業振興・人材育成・文化振興などの分野で連携することを目的とした連携協定を結んでいます。そして現在、それぞれの大学と少しずつプロジェクトが動いています。

【久留米工業大学との取り組み】

久留米工業大学とは、ものづくりに関する最新技術や施設を持つ強みを生かして、久留米絣の生産過程における製造機器の老朽化やIT化の遅れなど、伝統工芸産業分野における生産性の向上や問題解決に関して、学生が主体的に取り組める事業を進めています。先生や学生さん達が何度も絣の工房を訪れて、織機や、括りの機械を見学。職人さん達に現状や課題などのお話を伺ったり、意見交換などが行われました。

【100年前の織機のパーツを作る】

まず最初に上がった課題が、織機の部品がもう今は作られていないものも多く、不足していることでした。そして先日、久留米工業大学とのプロジェクトで久留米絣の織機で100年以上動いている織機に使われている、今は作られていない部品を復元する取り組みが行われました。今回の取り組みでは織機に使われている織物に緯糸(よこいと)を打ち込む「筬」(おさ)と呼ばれる部分を動かす、長さ40センチほどの鉄でできた部品で、鉄を鋳造して作られた鋳物でできた部品の製作が行われました。鋳物をつくる専門の設備がある佐賀県の「鳥栖工業高校」にも協力していただき、鋳物の実習授業の中で製作が行われました。この鋳物の実習がある高校自体珍しく、鳥栖工業高校の伝統ある授業だそうで、年に2回行われているそうです。職人さんから受け取った部品を、久留米工業大学がデータ化し、3Dプリンタで出力。その型で砂型を取り、1500度で溶けたドロドロの鉄を流し込む作業を鳥栖工業高校や久留米工業大学の学生さん達が行い、製作が行われました。初めて、鋳物を作る現場を見学させてもらったのですが、1500度の鉄を扱う作業なのでもちろん、注意しないと危険が伴う作業です。もくもくと大きく煙が上がる中で、ドロドロに溶けたオレンジ色に光る鉄が砂型にゆっくり注がれていきます。

鋳物がこうやって作られていることを知ることで、久留米絣の生地だけでなく織機やその部品、構造に目を向ける貴重な体験となりました。今回作った部品は織機の中でとても重要な役割をしているそうなのですが、今はもう作られていないそうです。この部品が悪くなることで、他の部分への負担が食い止められるような重要な部品だと職人さんがおっしゃっていました。100年前の昔の部品の作りや、機械の構造から新しいヒントや、次の世代につながる学びがたくさんあるのかもしれません。次は、この鋳物の部品を実際に動かしてみて動作確認などが行われるそうです。

【久留米絣を作る織機を知ることで見えてくるもの】

100年以上前にトヨタグループの創始者、豊田佐吉さんが作られた織機が未だに現役で動いている久留米絣の現場。この織機はY式織機と言うそうです。今この機械で織っているところは他の産地では、珍しくこのY式織機が並んで動いている様子は久留米絣独特の現場の風景になっているようです。職人さん達はこの織機でないと久留米絣の風合いがだせないとおっしゃっていました。この織機は鋳物でできたフレームや、歯車などの部品、革や木でできた部品で構成されています。ゆっくりとしたスピードで糸の負担が少なく柔らかに織れるのことが、久留米絣の風合いに繋がっているようです。機械織りといっても、人の目や手が必要だったり、天気で調子が変わるそうで、なんだか人間味のある生き物のような機械だなと思いました。職人さん達も日々、この織機をメンテナンスしながら大事に使っていて、家族のような存在なのかもしれません。

まだ作られている部品や道具もあるけれど、いつそれがなくなるのかわからない状況で、この織機は動いているんだなと感じました。まず、目先の緊急課題をこうして大学の力を借りながら、クリアしていくことも久留米絣を未来を考えて行くには必要なことなんだなと感じました。今後技術をアップデートしたり、数値化したりすることで久留米絣が持っている良さの再確認や、残して行く技術が見えてきたりするきっかけになるかも知れませんね。また大学との連携により新しい知恵や、アイデアが入って来ること、若い世代が知ることで、この次の100年のことを考えていくプロジェクトになるかもしれません。

(続く)

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