無くなりつつある伝統工芸がある。

地域のものづくりを探っていくと必ずこう言ったお話を聞く機会が多分にあります。

「伝統」というからには作り手が少ないのが条件のような風潮を感じなくもないのですが、優れて残された技術を「伝統」というふうに今は捉えて考えたいと思います。

九州という土地は、日本の中では大陸に近い場所に位置してるためでしょうか、大陸から技術が伝来する玄関口になるケースが多いようで「ここは〜の日本の発祥です」という説明がよくあります。
今住んでいるお隣の八女市にある霊巌寺というお寺は日本のお茶の発祥とされていますし、日本のハサミの発祥は博多にある博多鋏であるようです。ひょっとしたらラーメンだって「水戸黄門が中国のそばを模倣したのが始まり」なんて言いますけど、本当は博多ラーメンが起源かもしれません。

そもそも伝統とは歴史そのもので、伝統工芸とは歴史を形として残したものでもあります。そして、発祥とその由来、技術や制作工程変化などを紐解いていくと、地域の地形から財政、権力者や当時の景気などもわかってきますし、日本史と照らし合わせて見ると新たな発見があったりもして、そうした出会いはとても興味深いものです。
ですから「作り手が少ない伝統工芸がある」ということは、「歴史の一つの系譜がなくなるかもしれない」ということも推測できるわけで、個人としては「この伝統工芸は今の時代にそぐわないから仕方がない」として傍観してはならないように思うのです。なぜなら、歴史書は時の権力者がまとめたものである場合が多いと聞きますし、そうすると視点が有力者寄りになりやすいはずですが、工芸品はまさに史実そのもので形の中に地域の歴史が詰まっていて、それを人々が残し受け継がれ、そして史実を知ることへの責任は今生きている人々に平等に備わっているものではないか、と感じるからです。

絣(カスリ)で有名な広川町ですが、かつては竹工芸製品も超有名で、昭和9年には上広川竹製品工業組合が設立され、最盛期は八女竹製品協同組合として120業者があったとされています。
竹製品は今も流通がありますが外国産の表記をよく目にします。
国産はちょっと高価だが質がいい、そんなこともあってなのか、現在の広川町の竹細工職人は3人ですがとても希少な職人技で作られる細工として注目されつつあります。竹はもちろん筑後地方のものです。
以前、工場を訪れて譲っていただける機会があり早速購入いたしましたが、これが、とてもいいんです。
水きれも抜群で、果物や野菜の室内保存にも通気性があって最適なのです。
あと、目も細かくて置いてあるだけでなんだか可愛いです。今だからこそ価値のある物なような気がします。

他にも日本だけでなく、世界のどこかで今も静かに歴史を継続させている「工芸」というものにもう少し寄り添ってみたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

 

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