こんなタイトル書いて、本当に恥ずかしい。でも書いてしまった。。。
東京に住んでいた時はもちろん、実家の神奈川県にいた時ですら東京に出かける時に「東京行って来ます。」なんていうことはまず無くて、新宿〜とか渋谷〜とか地名でいうのが普通で隣の県からでも「東京」って言葉は私にとって近すぎて恥ずかしい名称だったりします。
今は九州に住んでいるし、東京は東京なのでそう呼びますけど、でも未だにその名称を発するたびに心の中のどこかで恥ずかしさが潜んでいることは誰にも知られていない私だけの秘密だったりするわけです。

海外から帰って来た人は感じていることなのではと思うのだけれど、東京(周辺まで)は日本だけでなく(おそらく)世界でも稀に見る大都会ではないかと思っていて、学生の頃、バイクで何気なく目的もなく理由もなく都内を走った時の感覚はその思いを決定づけさせられてしまった。どこまで走っても建物は続き、いつかは野原に出るだろうなんて希望は2時間も経てば簡単に打ち砕かれる。「このままあなたは逃れらせないよ」そう言われているような、そんなところが大都会、東京。いや、千葉、埼玉、神奈川に渡ってできた「巨大な街」なのかもしれません。そして、長い歴史の中で「街」であったからこそ、そこには本当に汚ったないビルとキレーでおしゃれなビルとが混在していて、良いも悪いも混ざり合い、いろいろなことが支えあって許されている場所でもあったり、だからこそそういった場所を愛してそこでしか生きたくない人たちがいても不思議ではない、ある種の楽園がそこにはあったりもするわけで、コンクリートジャングルなんて言葉もよくできているなぁと感心したりします。
久々に車で代官山を走り、目の前のトラックとベンツがぶつかって、ベンツは知らん顔でそのまま逃げて行く様が目の前で起きても無関心な心でそれを見れてしまったり、横断歩道を人が波のように歩いていてもその中を車で突っ切れてしまう自分に気がついた時に、「帰って来たな」と感じてしまうのもきっとその楽園の蜜の味を身体のどこかで覚えているからなのかもしれません。

だからなのか、福岡空港を降りた帰り道に市街を通ると「綺麗な街だな」と思います。ひょっとしたら九州全体が「綺麗」って思っているのかもしれません。これがどういう意味なのか、まだまだ研鑽すべき興味深いところとして在ります。
そして福岡にもどってからの大砲ラーメンは最高においしい。

久々に関東に帰郷してなんとなく感じたことをなんとなく書いてみました。

ありがとうございました。

 

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