「“ひろかわ”で作るひとびと」連載シリーズ

 

※そもそも久留米絣とは?を知りたい方はコチラ

1895年創業の山村かすり工房4代目、山村善昭さん。この日は、業歴40年記念に織られた”40”が可愛い柄になったシャツを着てくださいました。その手には、明治~大正時代のふとん絣を化学染料と機械織りで再現した、幾何学柄の反物。経緯がピシッと合った柄と紺地のコントラストが美しいです。

善昭さんは久留米市城島町のご出身で、結婚を機に28歳の時に広川町へ。地元に比べ、山がいっぱいで自然豊かな印象を持たれたそう。ご実家が城島瓦の製造元で、瓦組合の手伝いもされていた関係で、地場産くるめの設立準備委員会にも参加、久留米絣については「少しは知っている」状態で山村家へ入られました。義父さんからは継がなくて良いと言われますが、せっかくこれだけのものがあるのだからとこの道を進むことを決められます。しかし、修行が始まり3ケ月位経った頃、義父さんが病気にかかられ、そこからは現場の職人さんにひとつひとつ教わり育ててもらったと、職人さんたちとの家族づきあいをとても大切にされています。

技の伝承に業界全体で取り組みたい

藍染グラデーションと経緯絣が山村絣工房の特徴とおっしゃる善昭さんは、経緯絣の技の伝承をとても大切に考えられています。機械織りで経緯絣を織るのは、世界中でもこの久留米絣の産地だけ。経糸のピッチに緯糸を合わせる難易度の高さはもちろん、その準備工程でも手間がかかります。それでも経緯絣にこだわり続けるのは、産地の中だけでなく、博多祇園山笠の法被等他の産業や伝統にも関わる部分だから。

経緯絣を織れる職人さんが少なくなった今、後継者を育てることは織元単位でなく業界全体で取組むことが重要だと善昭さんは考えられています。織元毎に得意な分野がある、それを産地内の養成所で一通り伝授してもらい一人前になった若手が、各織元に就職する。そんな道筋が準備できればと。

もっと訪れてもらえる広川町にするために

商工会副会長も務める善昭さん、フルーツと工芸の郷と銘打っていた通り、広川は観光資源が沢山あって面白い町、ただ工芸の部分では久留米絣だけでなく竹細工や桐下駄等もあったがそれがほとんど残っていないのが現状。そして、久留米絣や苺の一大産地でありながら観光が遅れていることが課題だとおっしゃいます。広川インターで降りて通り過ぎる人たちに、広川で過ごしてもらうためにも観光や求人の総合的な窓口が必要。藍彩市場近くの調整池を埋め立てて有効活用する、例えば絣組合を移転して藍彩市場から歩いて括り工程や、天気の良い日はどこかの工房の糸が干されているのを見られるのも良いし、苺の観光農園になっても良いねとアイデアも沢山飛び出します。業種に捕らわれず、広川町のみんなで盛り上げていくことが大切と、若い人が生活する未来の広川町がより良いものになるよう常に考えられています。

善昭さんに初めてお会いしてからもうすぐ一年。こんな風にじっくりお考えを伺う機会が中々なかったですが、今回の取材を通じて産地経営や後継者の育成、町の観光仕掛け等、ご自身の足元だけでなくそこから広がる世界や未来を見据えた考え方やアイデアをお持ちなことを知りました。そして、産地全体で後継者を育てる…そんな仕組みづくりが具体的に進められると良いなと私も思いました。(山口)

【連載記事「“ひろかわ”で作るひとびと」について】

久留米絣、フルーツ、野菜、花、すだれなど、福岡県広川町で自然や地の利を生かし、“何か”を生み出す生業をされているさまざまな人々をインタビューし、紹介していく連載企画。広川町に移住をしてきた私たちの視点から見えてくる、この土地ならでは、その人ならではの魅力をお伝えしていきます。

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