久留米絣、フルーツ、野菜、花、すだれなど、福岡県広川町で自然や地の利を生かし、“何か”を生み出す生業をされているさまざまな人々をインタビューし、紹介していく連載企画をスタートします!広川町に移住をしてきた私たちの視点から見えてくる、この土地ならでは、その人ならではの魅力をお伝えしていきたいと思っています。
「久留米絣を染め織るひとびと」
「フルーツを守り育てるひとびと」
「野菜を植え育てるひとびと」
「花を咲かせるひとびと」
「○○を作り出すひとびと」
… と広川町に数多くいらっしゃる、つくり手のみなさんとお会いし、少しずつになるかもしれませんが、じっくり幅広くご紹介をしていければと思っていますので、ぜひ読んでいただけたら幸いです!
そんな記念すべき連載企画の第一弾は、広川町を代表する産品のひとつである「久留米絣(くるめかすり)」についてご紹介したいと思います。インタビュー連載の前に、まずは「久留米絣」ってなに?という基礎情報をお伝えできたらと思います。
そもそも久留米絣とは?
久留米絣は、福岡県南部の久留米・筑後地域で織られている、絣(かすり)の綿織物です。
では「絣(かすり)」ってどういう意味なのでしょう。
絣というのは、糸を部分的に縛る(くくる)ことで、柄を作る技法のことです。織る前の段階の糸を縛り、染めて、ほどいて、白く残ったところが模様になります。織ったあとの布に色や模様をつくる染めやプリントと違い、かすれたような独特な模様になることから絣(かすり)といわれるようになったという説もあります。
この絣の技法は、英語では「イカット(ikat)」と呼ばれ、実は世界中に存在します。7-8世紀頃にインドで発祥したといわれており、その後東南アジア全域・中東イスラム圏・ヨーロッパ・中南米などへ広がっていきました。
日本へは最初に14-15世紀頃に琉球王国へ伝わり、1800年初頭に日本本土で同時多発的に織られはじめられた絣織物の一つが、旧久留米藩の周辺地域で発達した久留米絣です。久留米絣は、井上伝という少女が最初に考案し技法を広めたといわれています。
久留米絣は綿織物ですので、日常着の着物として高い人気を誇っていました。しかし戦後に着物が着られなくなると、需要はどんどん落ちていき、最盛期は300件以上あったといわれる織元も、現在は20件ほどとなっています。
もともと広川町も含まれる「旧久留米藩」の周辺地域で織られていたこともあり、昔は久留米市でも生産されていましたが、現在は広川町・筑後市・八女市などいくつかの市町村にまたがって、織元さんが残っている状況です。
広川町はその中でも、10件以上の織元さんがいまでも生産を続けており、久留米絣の一大産地なのです。藍染手織りの伝統的な織元から、機械織り化学染料の織元まで、作り手にもグラデーションがあり、生地感や柄などにも個性があり、多様性が残っているのも大きな魅力のひとつです。
日本の絣産地は、久留米絣のほかにも、備後絣・伊予絣が綿の絣産地として知られていましたが、多くの織元さんがデニムやタオルなどほかの繊維産業に移行されたこともあり、絣はもうほとんど作られていません。手織り・手くくりの絣産地は、沖縄や東南アジアなどにもまだまだ残っていますが、手工業と中量生産が組み合わさった産業規模の絣産地は、実は世界的に見ても、久留米絣/広川町が唯一無二の産地だといえるのです。
そんな貴重な産業である久留米絣が、広川町に眠る「足下の宝」の大切な一つであるのは、間違いありません。ぜひ広川に住む皆さんにも、外から訪れる皆さんにも、もっと知っていただけたらなと思っています。
***イベントのお知らせ***
今週末、3月16日(土)、17日(日)に地場産くるめにて“藍愛で逢いフェスティバル”が開催されます。産地の事業者25社が集結するビックイベントです!各社新作反物や製品が出揃います。お近くの方は、是非遊びにいらしてくださいね。
イベント詳細はコチラ
- タグ