コーヒーを飲み始めたのはいつからだっただろうか。

小さい頃は親から「大人が飲むもの」として教えられていた記憶がある。高校生の頃、バイト帰りに缶コーヒーを飲んでいたような気もする。そして豆を挽いて飲んでいたのは大学生の頃、ミルを買い「めんどくさいな〜」と思いつつも味の仕上がりを楽しんでいた。

よく、「美味しいコーヒーってどういうものなのか?」という質問をいただく。毎日中毒のようにガバガバコーヒーを飲んでいる人間を目の当たりにすれば当然の質問なのかもしれない。なぜ飲むのか、という質問であったならば答える自信がない。自分でもわからないからだ。本当に中毒かもしれない。ただ、頭痛がひどい時にはコーヒーはいい飲み物となっている。(これを中毒と呼ぶ)
しかし、「美味しいコーヒーとは」という質問には即答できる。「美味しくは無い」からだ。
この表現も誤解されやすいので説明しておくと、美味しさを追い求める部分がない、という意味を表している。もちろんこれは個人的な見解であることは前提としていただきたいのだが、コーヒは大きく分けて”苦味”と”酸味”と”香り”のバランスでほぼ出来上がっているため美味しさの追求をするには要素が少なすぎるという特徴が良くも悪くも存在している。だからこそ、コンビニでもインスタントでも気持ちを張らずにコーヒーとして飲むこともできるし、クオリティーを求めることも可能で、「このくらいでいいや」と思えばそれでも満足できるものなのではないだろうか。
要は苦くて酸っぱくて黒い飲み物なのだ。だから、上記の質問には「美味しくない、だって苦い飲み物ですし。」と答える。でも「楽くて魅力的な飲み物」だ。

人が葉巻を燻らすように、自らコーヒーの豆を焙煎し、挽き、ドリップする。
コーヒーブームも3rd waveが成熟し、4thが訪れようとしている中、さらに嗜好品から趣向品しての珈琲がすぐそこまできている。コーヒーの魅力はさらに加速しているのだ。

そう、手に入れてしまったのだ。焙煎機を。

もう後には戻れない。何があろうとも、焙煎し、挽き、ドリップするのだ。「めんどくさいな〜」と言いながら。

 

 

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