移住について書きたいと思います。
「町への移住・定住促進がこの『ひろかわ新編集』の活動の一端でもあるんですよ」なんて言ってしまえばその通りなのですが、読む方も懐疑心が生まれそうですし、なんだか野暮ったくて書く気持ちも途中で失せてしまいそうなので、あくまで『プライベートな気持ちをそのまま書きます』。この文章が大人の事情で削除された場合は、、、いろいろあったんだな、と見守ってください。(冗談です)

なぜこんな書き始めかというと、移住とはシビアなものだなと思うからです。
生活とは助け合いで(そうでなくても誰かが関わって生きているはず。。)、その土地から離れるということは助け合っていた仲間と距離を取らなければいけないということになり、そう言ったことを踏まえると、移住を考えて行動するということは一言では言い表せない、様々な責任がのしかかります。実際はそれほどの責任がないとしても、のしかかるプレッシャーは多大なものになるのではないでしょうか。
私も妻と子供を引き連れて九州は福岡県八女郡広川町に本州から引っ越して来た移住組一年生です。
京都からの引っ越しでしたが、ひろかわの地元の皆さんには、「よく引っ越して来たね〜。」「すごいね〜。」「なんで広川に?」などなど、様々なお心遣いのこもったお声かけをいただきました。
ただ、絶対に言えなかった言葉があります。それは

「大変でしたよ〜。」

の一言。いや、言っても良いと思うのですが、(私の性格かもしれませんが)なんだか余計な気を遣わせてしまうようで言えませんでした。

私だけでなく、『住む場所を変える』ということは人生の進む道も変えてしまいますし、家族もいるとなると色々な方面に其れ相応の意思表示と対応を余儀なくされると思うのです。
未だ見ぬ地での生活はどんなに確信があっても、憶測以外に説明のしようが無かったりしますし、そんなこんなしているとあらゆる不安も襲って来ます。つまりは憶測ばかりを並べ立てると自分自身にも不安がやってくる、ということですね。そんな時に心の支えになったのが同じ地域にすでに移住している人の言葉で、その地に住む人の正直なストレートな意見ほど心が救われるものはありませんでした。しかし、人口2万人ほどの広川町です。それはもう、検索の日々でした。。。。
少ないながらも移住に関して投稿してくれた人たちインタビュー記事、関係者各位には本当に感謝をしていたことを思い出します。
そんな思いから、そろそろ私も移住一年生ながらも情報を提供する側に回らなければ、と思うわけです。

なかなか本題に入れないままですが、次回に続きます〜

ありがとうございました。

 

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