ちょっとしたきっかけがあり、数年前にマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長、伊藤穰一氏の[TED]での公演をウェブ上で拝聴したことを思い出しました。
その中でメインテーマは「インターネット後の世界」と「新しい原理」。
それは産業革命のインパクトを勝るものだったと説いています。
この現象はもうすでに始まっているということでしたが、しかし、生活の一部となっている「インターネット」という媒体をあらためて確認することは、意識していない限りでは難しくて、気づかないうちに「その後の世界」になっているのが「今」のようです。

私はインターネット接続が一般家庭でも可能になったところを間近にみていた世代でもあり、それは秋葉原がまだ「電気街」であった頃の出来事でしたが、その当時の私の「インターネット」の認識は、SEの人々の遊び道具のような、ちょっとした憧れも抱きつつ、知識のない人々には恐ろしくて手の出ない獲物のようでした。
それがあれよあれよと20年くらいであっという間に、自身の4歳児の子供が指一本でインターネットを通して動画を閲覧しながら一喜一憂する姿を目の当たりすると、いつの間にこのような世界がきてしまったのかと驚かずにはいられません。

「そんなことみんな言っている」といわれてしまうかもしれませんが、この技術の加速度は歴史的に前例のないスピードで進んでいて、世代によってこの技術力を味方にして楽しむのか、もしくは恐れてしまうのか、それを自然と問われてしまうのが現代のようです。

インターネットのすごいところは情報力で、「知識や技術」という熟練した経験者がもつ特権をことごとく打ち砕いてしまった今の現象もインターネットによるもののようです。この「情報力」は今や社会構造すでに変えているとのこと。
そして、トップダウンで降りてくる情報が、世代別に個々で入手可能となった今、文化というものの時間軸(世代)はさらに細分化し加速させているようにも思えます。
祖父の代では子供にテレビを禁止し、父の代では子供にファミコン(PC)を禁止し、私の代で子供にスマホを禁止したとしても、「どの時代でも子供達は大きくなり、その技術を最大限発揮していく」ということが通例であると考えると、この先の技術革新と社会変化というものもとても気になるところです。

先日の私たちの行なったクリエイターが繋がり、集うイベント【HIROKAWA CREATORS HUB】(ひろかわ クリエイターズ ハブ)でご講演いただいたosakentaro氏はブランデイングから製作、企画まで全てを一人で行う(服飾)デザイナーであり、様々な技術を駆使することでここまでの活動を可能としていて、「だんだん一年が長く感じてきている」とまで述べているところにも今後の活動に期待してしまうわけですが、「ファッション」と呼ばれるものも「インターネット後」を経て大きく変化してきているということでした。
「情報の提供がフラットになったこの世界でいかに情報を使うかが大切になっている。」そう語るosakentaro氏。

フラットな世界ではもうすでに新しい価値観が動き出しています。
自分はどこにいるのか。どこに終着点を求めるのか。

果たして、個々の自由を人々は満たすことができるのでしょうか。

ちょっとぼーっとしていると、気がついた頃には風景が変わっている。
そのような瞬間をよく感じます。

なぜだかしみじみしちゃいました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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