「知られてほしい広川」と題した、前回(中編)の続き。最終回です。
広川町は多様な人々が暮らす「郊外型」の小さな町です。一般的に、郊外型の町は次のような経験をしているところが多くみられます。①丁町等の統廃合や行政区境界線変更に度々巻き込まれた。②住宅・産業団地の開発により、人口流入の波が段階的に起きた。そのことによって、③地域や世代間コミュニケーションの分断が生じやすくなった。
広川町は、①②③を経験してきました。これらの歴史的背景が、「広川町を一緒に盛り上げていこう!」という一体感をつくりにくい現況に少なからず影響を与えています。
①についてみてみましょう。下図は、下広川地区の複雑な境界線です。1955年に上広川と中広川の両村が合併して広川町が誕生した時に、下広川村は広川町、筑邦町、筑後市のどこと合併するかで村民が割れ、結局まとまらずに分村し、その際、集落単位ではなく1戸ごとの要望で分かれたそうです(西日本新聞,2020)。また平成の大合併時には、住民間では、久留米市への合併意向が多かったにもかかわらず町議会で否決され、その後、住民発議で八女市と筑後市との合併も提案されたものの、再び町議会の同意が得られなかったなどの混乱もありました(土肥,2018)。
②に関しては、久留米隣接ベッドタウン住宅地の居住者と、産業団地の建設とともに他所から移り住んだ従業員家族、昔からの広川民では、広川町居住に対する価値観が異なるのはうなずける話です。
広川町(下広川)と久留米市・筑後市境界線の現状
(出所:国立情報学研究所:Geoshapeリポジトリ 国勢調査町丁・字等別境界データセット 福岡県八女郡広川町)
さらに③にかんして、広川町には他地域にはあまりみられない男女間のミスコミュニケーションが見受けられます。グラフは、広川町(2019)が行った「広川町まちづくりアンケート調査」です。子育て世代と言われる30~50代をみると、男性は半数以上が「住み続けたい」と、積極的な居住意向を示していますが、女性は3割程度にとどまっています。
(出所:広川町(2019)をもとに筆者作成)
この理由は、2020年の広川町民アンケートから推察できます。「広川町は自分らしいライフスタイルで過ごせる町だと思いますか。」という問いに、男性の3割が「自分らしく過ごせている」と回答しましたが、女子は2割にとどまっています。その後インタビューなどで理由を探ったところ、「仕事・家族の世話・送迎に忙しい」「新しい友達ができない」などの声が聞かれました。家族単位で過ごすには素晴らしい環境ですが、家族にかかりきりで、自分の時間や地域コミュニティの中での居場所をつくれずにいる女性が、少なからず存在することが分かりました。
子育て層にあたる30代から50代の女性たちが、広川町の魅力をもっと体感・共感できるような「まちづくりの何か」が求められています。そのためには、久留米・八女・筑後などいろんな方向に目が向いている様々な居住者に、一体感のある広川アイデンティティを育んでもらう「きっけけ」が大切になると思います。
では、どうしたらよいでしょう。最後にひそかに心温めてきたアイデア「広川アイデンティティの探索プロジェクト」を軽く提案して〆たいと思います。
広川町の由来は、八女市に水源を有し、筑後川に流れ込む「広川」からきています。この広川流域に、八女茶・果物・くるめ絣・清酒醸造といった地域の魅力が点在しています。
そうです。八女・久留米・広川の魅力をぎゅっと凝縮する「広川流域」に、着目してみてはどうでしょうか。まずは、「親子で広川町流域ウォーク」なんてものをやってみたらよいと思います。流域の点を線でつないでみると、細くて存在感の薄い広川が、なぜ広川という名前なのかという謎(?)が解けてくるかもしれません。まずは知ることから、そして共有することから始めていきましょう。将来的には「広川流域ブランディング」も面白いと思います。
参考文献:
- 土肥勲嗣(2018)「福岡県の「平成の大合併」を振り返る」『地方自治ふくおか』64 巻 p. 59-69.
- 西日本新聞(2020)「なぜ?2市1町で公園共有の謎 複雑な境界線…昭和の自治体合併の副産物か」
- 広川町(2019)「広川町まちづくりアンケート調査」