「“ひろかわ”で作るひとびと」連載シリーズ

広川町では、町内の道を通りながらぶどうが栽培されているハウスを見ることができます。現在、私が住んでいる家の周りにもぶどう畑があり、ぶどうの実がたわわになってきた頃にはとっても甘くていい香りがほんのり漂います。

今回は、そんな広川町の特産物の1つとも言えるぶどうの生産に力を入れているぶどう農家「中村農園」の中村充宏(なかむらみつひろ)さんにお話しをうかがいました。中村さんは、若くしてご両親が行っていた「電照菊農家」から「ぶどう農家」へと転身する決意をし実現を果たした方で、その経緯やチャレンジしてきたこと、これからのぶどう農家としてのあり方について聞くことができました。

電照菊農家からぶどう農家へ

農家の家に産まれた充宏さん。祖父母の代では野菜を生産していましたが、父母の代では、当時全国的にも有名なブランドになっていた八女電照菊の生産を行っている農家さんでした。電照菊は1年間に1ハウスで3回転くらいの生産を行うため常に作業に追われ、幼いころの充宏さんは年間を通して忙しい父母の様子をみていたそうです。その様子を見ながら、土日休みにお出かけするサラリーマンの家庭が羨ましくて仕方がなく、高校を卒業すると同時に就職し、約5年間程は県内外でいろんな仕事をしたとのこと。意欲的であり上昇志向のあった充宏さんは、どんな仕事でも上手くいっていました。しかし、羨ましく思っていたサラリーマンとして働くなかで、サラリーマンとしての金銭的な限界も感じるようになってきました。(もっと自分の力で稼げるようになりたい。。)そんな思いを抱えていた23歳の時、サラリーマンを辞め1年間だけ実家の電照菊農家の仕事を経験してみようと広川に戻ることを決意しました。決意はしたものの、その頃には電照菊の単価も落ち始めており、どうやったら稼いでいけるのか、、しばらくは愚痴も多かったそうです。そこから普及指導センターの職員の方や他業種の友人と言葉を交わし、貪欲に学びながら少しずつ農業経営を学んでいきました。1年と決めていた実家の電照菊農家の仕事でしたが、24.25歳のころには心が農業に向き始め、これからの実家の農業を守っていくために安定して出荷し利益をしっかり出せる「ぶどう」を作ろうと考えるようになり、当時周りにほとんどいなかった「ぶどう専業農家」になるという思いを新たに固めました。これまでやってきた「電照菊」農家から「ぶどう」農家へ大きく方向転換することに不安はあれど、未来を見据えた充宏さんには、きっと上手くいくという確信に近いものがあったそうです。そこから充宏さんのチャレンジが始まり、少しずつ「電照菊」のハウスを「ぶどう」のハスへと転換していきました。ぶどうは植えてから、3年間は実がならないため出荷もできません。そのため収入は激減し、大好きな飲みの誘いも断る日々。不安を掻き消すように、ぶどうの生産について勉強し、失敗を繰り返しながらがむしゃらに働いてきました。その努力が実り徐々に出荷数が増え、ようやくすべての「電照菊」ハウスが「ぶどう」のハウスに変わり、(まずはここまで辿り着いた)と安堵したのは「ぶどう専業農家」になると決断してから、10年後。そこからさらに5.6年が経ち、今では安定した「ぶどう農家」として経営をしているそうです。お話を聞いて、10年間と口で言うのは簡単ですが、実際にその年月をいろんな思いを抱えながら、それでも自分の思いを貫いて努力してきた充宏さんにただただ感動しました。

5月出荷の種無しぶどう

「ぶどう農家」に転身した充宏さんですが、ただぶどうを作るということだけで終わるのではなく自分にできる付加価値のついたぶどうの生産も目指してきました。巨峰、ピオーネ、シャインマスカットなどの品種を生産する中で、今最も力を入れてるのが、「5月出荷の種無し巨峰」です。もともと福岡県は、広川を含み全国でも上位のぶどうの産地であり、また出荷の時期も早い地方でもあります。しかし、そのなかでも5月に出荷できるぶどうはほとんどありません。充宏さんの育てる巨峰は冬の寒い時期に、暖房機でハウスを加温し、丁寧に育てているため5月出荷が可能になったとのこと。それには、父母の電照菊農家時代に使っていた暖房器具が活躍中。自身の持っているもので出来ることを模索していた充宏さんの「5月出荷の種なし巨峰」は、チャレンジを繰り返しているうちに辿りついたとおっしゃっており、九州で1番目に出荷したこともあったそうです。手間暇をかけたこの巨峰は、その価値どおりの高級品として百貨店などで販売されています。また、5月に出荷できれば良いというだけでなく、品質も求められるとのこと。その目安となるのが糖度で、出荷が早くても糖度が足りないと全く美味しくないそうです。産地としての価値を下げないためにも、管理を丁寧に徹底して行うそうで、充宏さんのチャレンジ精神だけでなくぶどうへの愛情が美味しさに繋がっているのだと感じました。

 

ぶどう農家として担えること

充宏さんの経営する「中村農園」では、ぶどうをメインに生産しており出荷の忙しい時期を除けば、年間の中でゆっくりできる時期もあるとのこと。また、安定した生産を行えるようになったため、今では正社員とパートを常時雇用しています。私は、充宏さんの経営者としての考え方や方針、これまでの努力がその雇用を生んでいるのだと思い感心しましたが、充宏さんの思いはまだまだ熱く、ぶどう農家の働き方を生かして、これからは子育てをしていたり何かしらの理由で働くことを諦めている方達を応援できる受け皿になりたいとおっしゃっていました。そういった方々にもぶどう生産のスキルを身につけてもらい新しいアイデアや発見を共有することで自分自身にも良い影響が返ってくるという相互関係を築くことが理想だととても意欲的でした。広川町内でも異業種の交流などを通して、現場の人間しかわからない情報や知恵を話し合えたら、そしてそれを町に還元していけたら良いなと思っていると語っていらっしゃいました。

 

 

私と同年代の中村さん。インタビューの間、中村さんがいろんな決意を固めていたころ私はまだ社会人1年生だったことを考えながら、当時の自分と比較していかに中村さんの行動力や決断力がすごいのかを感じました。苦労話もありつつでしたが、それがあったから今があると言った時の笑顔がとてもチャーミングで素敵でした。インタビュー後日、農園にお邪魔させてもらい、収穫時期だったシャインマスカットを食べさせていただくことができました。1つ1つ粒が大きく育った実は、ほんとにジューシーで甘くて大事に育てられているのがはっきりわかるほど美味しかったです。

SHARE