「“ひろかわ”で作るひとびと」連載シリーズ
※そもそも久留米絣とは?を知りたい方はこちら
丸亀絣織物の5代目丸山重俊さん。その手には丸亀さんと言えば!のレンコンが並んだ反物”赤白レンコン”。じっと見つめていると、規則正しいパターンのようでひとつひとつのレンコンにやわらかな表情があり、絣の魅力を改めて感じます。
広川で生まれ育った重俊さん。家庭科の先生の勧めもあり高校卒業後、ファッションの専門学校へ進学。在学中、絣について深く知るうちに、他の生地とは違う特別な魅力があると家業を継ぐ意志を固められたそう。2年前位まではほぼ出張の日々でしたが、昨年5月にお父様が引退されたこともあり意識の変化があったとおっしゃいます。これからは、積極的に地元の方とも繋がりたいと考えられています。
全部大変だけど全部楽しい
自ら先陣を切って新しいことにチャレンジする重俊さん。久留米絣の価値をもっと知ってもらいたいと、ご自宅の蔵を活用して染め体験のできる施設をつくる計画もあるそう。普段は自社で化学染料による染色をされていますが、化学染めは体験しにくいからと、天然染色の実験を始められました。屋久杉や八女茶で染めた糸を織り上げて、その風合いや活かし方を検証。早朝から呉汁を仕込んで糸を染めて…と、仕事と並行してどんどん前進してしまう集中力がすごい。そして、今は染色にはまっているけど、元々柄をつくるのも好きだし、販売も楽しいとおっしゃいます。
確かに、一人一人のお客様に対する接客が丁寧な印象の丸亀絣織物。元々話好きという訳ではなく、20年の販売経験によりスイッチが切り替わるそう。月に10日位のペースで北は盛岡から南は奄美、沖縄までと全国各地を回られ、丸亀さんが来たら幾ら使うと決めて待って下さる方や、今度こんなものを持って来てくださいとリクエストをくださる方、各地にファンがいらっしゃるそう。昔は「何でこんなに高いの?」等厳しい声もあったが、今は「久留米絣は高いけど良いものだからね」と声をかけてくださるようになり、お客様の価値観を変えられたのかなと重俊さん。
憧れられる職業に
父、重徳さんが工場を仕切られていた頃はやりたいようにはやれない事もあり、異なる指示の間で従業員の方もやりづらかった部分があったのでは、と重俊さん。代替わりした今、失敗しても自分のせいだし、やりたいようにガンガンできる。そんな重俊さんのイメージする工場は、一人ひとつの工程だけでなく、例えば織子さんでもトング巻きができるような、それぞれが複数の工程をある程度できる状態。前後の仕事がわからないと、こうしておかないとやりづらいよねと気づきにくい、余裕があればローテーションもしたいそう。また、自分のやっている工程はわかっていても、意外と久留米絣について知らないからと勉強会もされるそう。雇用形態も、一人一人の希望に応じてフレキシブルに対応され、人がいないと伝統工芸品はつくれないと従業員一人一人が一緒に楽しんで取組んでもらえるような環境づくりに取り組まれています。
そして、産地が続いていく為には若い世代の感性が大切だと、若い世代の雇用にも意欲的。もちろん積重なってきた技術力がベースにあり、そこに若い人の感性が入ってくるとモノづくりの感じが変わるとおっしゃいます。ご自身も産地の中では若い織元さんですが、それでもデザインが凝り固まってきていると感じる事もあるそうでそれをズバッと指摘してくれる若者は大歓迎だそう。
産地全体の為になればと強い責任感を持って、産地イベントや会議の場で建設的な意見を出し前へ進められる姿は、正に産地の若きリーダー。やりたい事もたくさんあって、次々その手でやってみる行動力に、きっと何か面白いことが起きそうでワクワクします。(山口)
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